掲載の記事は、週刊朝日(朝日新聞社)2006年3月10日増大号に掲載されたものです。
医療シリーズ 歯 を 抜 か な い 保 存 的 矯 正

歯並び、かみ合わせは全身の健康にも大きく影響するため、早期治療が

重要である。しかしながら一度削った歯、抜いた歯は元には戻せない。

そのため、生涯にわたる歯の健康、全身の健康を視野に入れた治療が求

められている。そうしたなか、歯の保存に重点を置いた、歯を抜かない

歯科矯正治療「床矯正(しょうきょうせい)」が注目を集めている。床

矯正研究会主幹の鈴木設矢先生に、床矯正治療について話を聞いた。

鈴木設矢

床矯正とは

「床矯正」とはどのような治療法なのでしょうか。

鈴木 簡単にいえば「あごを広げて歯を並べる歯科矯正」です。歯科の矯正治療には口腔外科、補てつ科、保存科と、それぞれの側面から考えられた三つの方法があります。
 口腔外科での矯正は、上下4本の歯を抜いて、歯の生えるスペースをつくろうという考え方で進められます。しかし、本来なら普通に並ぶことができるはずの歯を抜いてしまうこと、また、歯を抜いてできたスペースと必要なスペースが必ずしも一致しないことなどがデメリットとして考えられます。
 補てつでは歯を削って歯並びを変えます。新しくつくった歯が壊れてしまうことや、長年の使用で本物の歯とのバランスが悪くなってくることもあります。
 このように、抜いた歯、削った歯は二度と元には戻らないため、私ども保存科の歯科医師が行う矯正は、「歯は抜かず、歯が正しく並びきらない小さなあごを、正しい位置に歯が並ぶ大きさまで広げる」という方法です。

歯科の矯正であごを広げることができるのですか?

鈴木 あごを広げるというと、「顔が大きくなってしまうのでは」と心配される方も多いのですが、厳密にいう歯を支えている「歯槽骨(しそうこつ)を、歯が正しく生える位置に変化させる」ということなのです。実はあごというのは一般的に、女の子が14歳、男の子はそれより長い17歳まで成長しています。(表1)このあごの成長が止まるまでに不正咬合(こうごう)を解消し、口元の形態・機能を正常に整えることが重要になってきます。そこで床矯正がお役に立つのです。

床矯正はなるべく早いうちから治療を始めることが重要なのですね。

鈴木 そうです。5歳以上であればなるべく早い治療が望ましい。ですから保護者の方がお子さんの歯並びや口元の状態が「おかしいな」と感じられたとき、それが治療の始めどきだと考えています。さまざまな不正咬合(こうごう)がありますが(表2)、床矯正で治すことができます。

<表2>床矯正の対象となる不正歯列

●生える位置が正しくない…とんでもないところから歯が生えてしまったり、永久歯の生えるスペースがなくなってしまったりと、歯が通常生えるべきところに生えてこない状態。

●叢生(そうせい)…叢生は一般的に「乱ぐい歯」「八重歯」と呼ばれている。患者に最も多くみられるのがこの症状。あごが小さいために歯がきれいに並びきれず、歯が重なって生えている状態。早期に治療を開始することが望ましい。

●交差咬合(こうさこうごう)…通常は上の歯が下の歯に被っているが、この状態が逆になり、上下の前歯、奥歯の1、2本が交差しているかみ合わせのこと。

●反対咬合(受け口)…通常は上の歯が下の歯に被っているが、この状態が逆になり、上下の歯が3本以上反対になっているかみ合わせのこと。

●下あごの後退…多くのケースが悪習慣から起こるといわれている。かむ筋肉が正しい運きをしておらず、あごの間接が後ろに後退している。

●過蓋(かがい)咬合…かみ合わせが深く、前から見ると下あごの前歯が見えない状態。奥歯は臼歯といい、「うす」のように横に下あごを動かす必要があるのだが、前歯のかみ合わせが深いために下あごを横に動かせず、よくかめない。

●前突(出っ歯)…前歯が飛び出している状態。

●正中離開(せいちゅうりかい=空きっ歯)…真ん中の前歯の2本の間が開いている状態。早期に治療しないと、隣の歯が生えるスペースがなくなり、歯並びがより不正になる。

●開咬(かいこう)…上下の歯をかみ合わせても一部がかんでいない状態。


―正しい歯並びを手に入れましょう―

床矯正の大きな特徴外せる矯正装置

治療はどのように進められるのでしょうか。

鈴木 床矯正に用いられるのは入れ歯の一種です。床矯正装置(図参照)にはねじが組み込まれていて、プラスチックでできた床が動いて歯を前に押したり、後ろに下げたりする仕組みになっています。また、同じ原理であごを横に広げることもできます。
 まず1週間で90度(0.2mm)の拡大を基本目標にします。45度ずつの2回転、ケースによっては30度ずつの3回転を指示しています。患者さんに痛みがないようであれば、1日おき、毎日と、ねじを動かす間隔を短くしていくこともあります。拡大のスピードは最終的には患者さんの状態に合わせて行います。

患者さんが主体になって行われているのですね。

鈴木 そうです。さらにこの装置はいつでも取り外しができる「可撤(かてつ)式床矯正装置」です。つまり、患者さんは好きなときに口の中の装置を外すことができるのです。装置をつけているとやはり発音がしにくくなってしまいますし、食事も大変です。小さな子どもにとってはなおさらですよね。ですから、もちろん普段はつけたままでいてもらいますが、音楽の時間や就職面接、電話の対応時など、どうしても装置が邪魔になってしまうときは外してしまってかまいません。

好きなときに外せることで、治療の効果に影響はないのですか?

鈴木 確かに、ずっとつけているにこしたことはありません。ですが、学業や仕事に支障があってはいけないと考えています。QOL(生活の質)を保ちつつ、いかに効果をもたらせるか、床矯正ではそこを大切に考えています。
 また、食事と歯みがきの際に装置が取り外しできることで、装置に食べカスがたまりにくく、歯もすみずみまで磨いていただけますので、口腔内の衛生が保てます。

患者には小さな子どもが多いということですが、長い時間矯正を続けることを嫌がる子もいるのでは?

鈴木 子どもというのは、「いい顔になりたい」という願望を持っているのだと、治療していていつも感じます。「かっこよくなろうね」「かわいくなろうね」と励ますと、矯正の目的を理解して、みんなきちんと頑張ってくれるんですよ。

かむ力を鍛えましょう!

食事をするときに働くさまざまな筋肉をうまく使えるようにするための五つのトレーニング法を鈴木先生が教えてくれました。

1.舌の筋肉
舌で唇の右の角を押します。次は左。上唇をなめて、最後はアッカンベーの要領で舌を前に出します。これを10回繰り返します。

2.口輪筋
食べ物が前歯からこぼれないよう、唇の力をつける運動。力強く唇を閉じてから、パ・ピ・プ・ペ・ポと10回繰り返します。

3.頬の筋肉
頬の筋肉が弱いと、かむことや食べるスピードが遅くなります。頬を大きくふくらませ、力強く引っ込める動作を10回行います。

1.舌の筋肉
口呼吸などの悪習慣で、いつも口が開いていると歯列不正が起こりやすいため、口を閉じることは大きな治療の一つです。クリップを曲げて唇でくわえたり、はがきを二つに折って口にくわえたり、お風呂は3分間口まで入るなど、口を閉じた状態を習慣づけることが大切です。

2.口輪筋
かむ力の増強やかむバランスを鍛えるトレーニング。水槽に使用するエアーチューブを、犬歯の外側の歯(第一小臼歯)に当ててかみしめて、かむ力を増加させます。

歯並びと食育

鈴木 動物というのは、生活する環境によってその姿を変えていきます。人間も例外ではありません。例えば日本人と西洋人ではご存知の通り体格がだいぶ違います。胴が長い日本人の体系は、その食事内容に密接に関わっているのです。西洋人は消化のよい動物系の食べ物が、それに対して日本人は消化しにくい植物系の食べ物が中心だったことから、腸が1メートルほど長くなっているのです。これは歯並びとあごの関係にもいえることです。繊維質の食べ物を時間をかけて多くかむ人は、下あごの角が角ばってえらが張る型になります。つまり、横顔をみると下あごの角がしっかりと「L」の型をしているのです。
 しかし、よくかまない、もしくはかめないという人の場合あごの骨が弱り、下あごの角が弱り、下あごの角が浅くなってしまいます。いわゆる「し」の字のようなあごの形になってしまうのです。また、細くなってしまったり、尖形(せんけい)になってしまったりしたあごには当然歯は並び切れません。特に最近は、軟らかいものが多くなっていますので注意して欲しいですね。。

普段の食事がこんなにも顔の形に影響するのですね。

鈴木 そうです。ですから、食育が非常に大切です。小さなときからかむ力とよくかむ習慣をきちんとつけること、それがいい顔と美しい歯並びをつくり出すのです。保護者の方に、かんで食べることの重要性を知って欲しいですね。

21世紀の歯科医療に求められるもの

治療開始に最適な時期は?

鈴木 一般的に、矯正治療は12~15歳から開始するのがもっともいいといわれる理由の一つに、抜く歯(第一小臼歯)が生えていることが挙げられます。この歯は、10歳半~11歳頃生えてきます。つまり、抜く歯が生えるのを待っているのです。しかし、人間の器官に無駄はありません。歯を抜くことで、全身のバランスを崩す危険も恐いですし、特に子どもの場合はかむ刺激が減少することにより、顔の改善が難しくなってしまいます。

先生は「自分の子どもにもできない治療はしない」という考えをお持ちだそうですね。

鈴木 その通りです。10歳のときの治療は、10歳のときの治療は、10歳である今のためだけの治療ではなく、よりよい80歳を迎えるために何をするかであると考えています。子どもの将来まで考えたときに、今何をするべきなのか、どういった治療が適しているのか、保護者の方にきちんと選択していただきたいですね。

近年は、歯が悪くならないようにケアする「予防歯科」に注目が集まっていますよね。

鈴木 そうですよね。床矯正は予防歯科としての役割も果たしているといえます。見た目の美しさはもちろん、これからはよくかめる、虫歯や歯周病も予防しやすいなど機能を重視した矯正治療が必要です。私たちは歯の「保存」という立場に立った「床矯正治療」を通して、未来の子どもたちの健康に貢献できればと思っています。

先生はこれまでおよそ5000例以上の経験がおありだそうですが。

鈴木 はい。患者さんによくお手紙をいただくのですが、皆さんの言葉にとても励まされますし、同時に、もっと満足してもらえる治療を提供しなくてはと気持ちも引き締まります。やはり患者さんが正しい歯並びを手に入れてくれるのがいちばん嬉しいですからね。
 例えばあるとき、小学校1年生の娘さんのしたの歯が曲がって重なり合って生えてきたのに気付いたお母さんが私のところへ相談にいらっしゃいました。診察の結果、かむ力が弱いためにあごが発育不足だとわかり、歯を抜かずにあごを広げて歯とあごのバランスをとるという治療を行うことにしました。
 そこで取り外しのできる床矯正装置を使用し、始めは週に2回、矯正装置についたねじを45度ずつ巻いて、ゆっくりとあごを広げていきました。患者さんが慣れてきたようだったので、1日おきにねじを巻くようになりました。そして1年半ほどであごのベースができあがり、歯はきれいに並びました。後日お母さんから「床矯正は装置の取り外しが自由にでき、痛みもなかったため本人に辛さはなかったようです。歯を抜かなくてもあごは広がる、ということを実感しています」とお手紙をいただいて嬉しかったですね。
 また、床矯正を行っている仲間の歯科医師からも床矯正治療について話を聞くことがあります。どの医院でも、患者さんとのコミュニケーションを大切にした熱心な治療が行われているようです。「歯を抜かないことと、かむ機能の回復を重視した矯正法」として、今後も多くの患者さんが笑顔になるようにお手伝いしたいと私たちは望んでいます。

さまざまな矯正法
メリット・デメリット 治療期間 治療の特徴 費 用
床 矯 正
基本的に歯を抜かずにあごを広げる
装置の着脱が可能
あごが成長中の子どもに最適・経済的
平均1~3年 歯並びを整えるだけでなく、土台となるあごを広げ、かむ訓練により顔全体が正常な機能を取り戻す 早期であれば10万円から治療可能(医療機関、状態により異なる)
通常矯正
(表側に装置着用)
矯正装置が目立つ
痛みを感じる
抜歯することが多い
平均1~3年 矯正力があまり強くなく、歯の移動に時間がかかる 70~100万円
(医療機関、状態により異なる)
裏側矯正
歯の裏側に装置をつけるため、表から見えない
歯が磨きにくい
平均2~3年 人に気づかれることなく、美しい歯並びに治療できる 100~150万円
(医療機関、状態により異なる)